合同会社プロニティのブログ

宮崎県佐土原町の小さな不動産会社です。不動産のご紹介ほか宮崎県のニュース、 景色、美味しいものなどを発信していきたいと思います。

福岡県上山田・大隈・篠栗日帰り一人旅

前回記事の宮崎県出身JRAの音無調教師は無事定年勇退された。有能なスタッフ・管理馬たちも転厩して早々に結果を出している様子。そして今晩グリーンチャンネルで音無調教師の特番が放映されます。楽しみだなー。本ブログで音無先生を取り上げたのも、実は「馬」関係の不動産を紹介できる予定だったから。今のところ売主サイドの諸事情でストップの形だけど、また機会があったら記事にしますね。

というわけで、いつも登記関係の仕事をお願いする伊藤毅司法書士の依頼で福岡県篠栗町に日帰りで調査に行ってきました。3年前に亡くなったご両親の家が売却できずに困っているというもの。接道要件を満たさないので売却不可と不動産会社4社に断られたというけど、そもそも未接道土地にどうやって家を建てたんだ?それで現地を確認して篠栗町役場で調査したら何とかなりそうだった。その足で地元不動産会社を訪ねて取りまとめをお願いした。

俺の好きな言葉に「打つ手は無限」っていうのがあるけど、それと同時に不動産売買の場面では地元事情に精通した小回りがきく不動産会社を選ぶべきだな。ホントいまはネット集客営業が主流になって、外面だけ良い無能な連中がひしめいているんだからさ。

篠栗町に行く前に俺の本籍地の嘉麻市上山田に寄ってみた。昔炭鉱で栄えていただけに寂れた町には似合わないほど立派な日赤病院があったりする。ちなみに当社の社名もここに本社工場を持つ上場会社日創プロニティさんに倣ったもの。再エネ相場の時は株価が50×テンバンガー(5万円が250万円になった)になって、早売りしたけど酒代を稼がせてもらった。

秋月街道。大隈の麟翁寺(黒田節の母里太兵衛墓所)には父親方のご先祖が納骨されている。北斗宮という変わった神社。石段が急でした。カタログをもらった嘉麻市庁舎。

篠栗の旧市街は道の両側に水路があって風情がありますね。小ぶりなスーパーが各所にあって地元客でにぎわっています。村島饅頭店。薄皮・イモちゃん・味噌マンを購入。各120円。桜餅3個入り390円も買えばよかったよ。美味しいとよ!

 

音無調教師は電気ホースの夢を見るか?

3月4日にJRAの8名の調教師が定年によりまたは勇退されます。その中に宮崎県出身の音無調教師が含まれています。ミッキーアイルなど多くのGIホース、最近も海外遠征で名を馳せたデルマソトガケ(酔った状態でインタヴューを受けてちょっと批判もされたけど)を輩出させた名伯楽。先月のプロキシオンSでは同厩舎サンデーファンデーとサンライズジパングが1・2フィニッシュを決めて、「音無センセイ、スゲー😲」と感嘆の声が上がった。

九州からは結構競馬会の重要人物が出ています。ジョッキーの吉永正人武豊の先祖(ルーツを探せば川田将雅もきっと)、現役調教師の西園正都四位洋文ほか数名は鹿児島出身だしね。宮崎出身では池江泰郎橋口弘次郎など著名なトレーナーがいたし、かつてはツルマル冠号で知られる馬主さんもいたなー。

音無先生はジョッキーに対する辛口批判なんかで一部のアンチのファンもいるけど、馬術界からJRA騎手に転身した小牧加矢太(父親は園田競馬場小牧太騎手)、酒気帯びで騎乗停止処分を受けた松若風馬を再び弟子にしたりするなど、ホント面倒見がいいよなー。

引退が近づくにつれ、各スポーツ紙の記事で音無先生がよく取り上げられるようになった。今日東スポの松浪記者のインタヴュー記事を見たけど、先生に対するリスペクトを感じるいい記事でした。ぜひ一読してみて!

tospo-keiba.jp

俺もまた音無先生に対して並みならぬシンパシーを感じる一人なんだけど、むかしオレが山仕事をしている頃の主戦場は西都・西米良の官民有林だったんだ。音無先生は西米良村(現人口950人)の中でも特に僻地の尾股のご出身なんだよ。今は大阪のS産業、鹿児島のK木材の出張社員が在住するぐらいで民家も数軒しかないだろう。そしてなんと言っても、先生ゴメンナサイ🙇、先生はいなかっぺの西米良顔なんだよなー。先生が作業着を着てチェンソーの刃を棒ヤスリで研いでいても全然違和感がない。「ヒデさん、だれたねぇ。一杯飲まんけ」と焼酎瓶片手に近づきそうだわ。

現在JRA通算995勝。残り2週間。がんばっていきまっしょい

 

島原素泊まりひとり旅②

原城跡から有明海の開口部分に位置する加津佐口之津へ。白砂青松の綺麗なビーチがありました。口之津はなかなかいい町ですね。オレの中にまた1箇所『いい町』のストックが増えた。ちょっと不思議なんだが、「歴史民俗資料館本館」と「コレジオ跡」を見つけることができなかった。残念。町外れの『海の資料館』。離合できない橋を渡らないと辿りつけない。港湾と験潮所も。

このあと、雲仙経由で島原に戻るわけなんだけど、雲仙岳をなるべく近くで見たいという希望は大外れで終わった。雲仙の中心部に着くあたりで前後を福岡ナンバーのセルシオBMWにピッタリ挟まれて、停める場所を探したりする余裕がまったくないわけ。おまけに外人観光客がやたら多い。オレ外人観光客ってヤツらが大嫌いでさ。外人を見ると動悸が激しくなる「赤人対面症」という持病すらあるんだぜ。ヤツらは突然ピカを落とすからな!何度もピカを落とすからな!一刻も早くこの忌まわしい雲仙から離れたかった。

容姿端麗な島原城天守閣内の展示物がメチャ充実しているし、最上階からの景色は最高だった。

湧水が豊富な島原市武家屋敷があった区画。古い町並みと生活に溶け込んだ水路はよくマッチする。かつて訪ねて水路が印象的だった城下町を思い出す。丹波篠山・萩・津和野・秋月・飫肥などを。また行きたいなー。

 

島原素泊まりひとり旅①

長雨が続いた10月。11月になった途端、朝晩の冷え込みが厳しくなりましたね。好天に恵まれた昨日、長崎県島原半島に行ってきました。

島原は、昔父親と木材の会社をしていた頃、社員旅行(ハウステンボス太良町の竹崎カニがメイン。嬉野温泉泊)で寄ったみたいなんだけど、案の定大酒飲んでマイクロバスの中で眠ってた。だから実質初訪問だねー。まあ一応目標を立てて、①原城跡訪問②口之津訪問③島原城と沖田畷古戦場(戦国時代好きにはチョー有名)跡訪問の3本!

11/12(火)02:30出発。国道268号経由-えびのIC-松橋IC-熊本新港05:45着 約180㎞。九商フェリー熊本-島原4m未満車両往復割りで6080円。

コンビニでコーヒーとサンドイッチを買って腹ごしらえしたり、普賢岳災害記念館の場所を確認したりして、南島原市原城跡には9時ちょっと前に着いた。原城跡の特徴として、城の構内に駐車場がなく本丸跡までテクテク1㎞ほど歩く。建築物は皆無だし、お城と収穫中の畑が一体化していて軽トラが走りまわっている。天守閣や石垣・堀などの構造物を期待してくる人はガッカリ😞するかもねー。

しかし、この日も3~4人のビジターとすれ違ったんだけど、原城跡は島原の乱とかキリシタン関係の予備知識がある人には、堪らない場所だよなー(魔界転生の四郎時宗、山田イモサク、立花統虎、宮本武蔵もここにいたんだよな)。俺が想像していたより城郭は広かったし(それでも一揆軍3万数千人が籠城するには狭すぎー)、高低差もあった。

一番ワクワクするのは、天草四郎もきっと見ていたに違いない風景を、現代に生きるオレも見ることができるってことだよな。必滅が迫る中でもいつもと変わらぬ潮騒潮風碧い海。ここに来る前に渡って来た天草諸島を眺めて一体何を思っていたんだろうね。

 

小さな恋の米良day

先日の台風10号では、宮崎県各所で突風・竜巻による被害が発生しました。事前に台風の備えはしてたつもりなんだけど、管理物件2か所で外壁剥落やエクステリアフェンス倒壊があった。復旧工事が立て込んでいるため修繕にはしばらく時間がかかりそう。

深夜寝ていて竜巻の被害にあったお客さん(宮崎市恒久在住。屋根瓦が30枚飛んだ)は、ビックリして目を覚ますと間もなく停電になった。気圧の関係か耳の中がツーンとして少し朦朧状態だった。何がなんだかわからない。暗闇の中、手探りで外に出ると、近所のコンビニも真っ暗で家の前の街路樹が倒れている。明かりが欲しいけど、携帯電話も枕元に置いてきたので靴箱上の押し活で使うペンライトを取って再び外へ。そこにパトカーの警官たちが現着した。ペンライトを左右に振っているお客さんを哀れみのこもった目で見ていたという。

4月にスマホを替えたんだが、早くもカメラが故障した。画像を保存するリサイズって機能がまったくダメになって、例えば別アングルで撮った上の写真も3cm×3cmぐらいの大きさで表示されるわけ。

お客さんに現場写真をメール送信すると、てげどやされた(宮崎弁:めちゃくちゃ怒られた)。「現場写真がA4用紙に切手6枚貼ったサイズで届いてんだけど、オタクふざけてんの?飲んでるの?もうクビだわ!!」

ショックがでかくってさあ。ますますイップスになってしまってさあ。ニシタチ(宮崎市きっての夜の盛り場)での武者修行の最中に悪夢が再現されることもあるわけ。

ソープ嬢「ねえねえお客さん。黙りこくって気味悪いんだけど」

プロニティ「小さくなるとよ。小さくなるとよ・・・」

強面のお兄さんが登場して店からつまみ出されることに。

 

 

垂水市 素泊まり一人旅

先日の日向灘地震は、制定後初の「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたこともあって、かなり衝撃をもって受け止められたみたいですね。下からかなり突き上げられたあと大きな横揺れが続きましたが、体感的にそれほどではないか、という感じでしたね。近所で遊んでいた糞ガキたちも近くの老人ホーム・授産施設の人たちも悲鳴あげたりしなかった。

俺テレビはまったく見ないんだけど、各局ずいぶん恐怖を煽ったんじゃないの?まあ大丈夫とは思っていたけど、翌日古い管理物件を巡回した際、ドラッグストア・ホームセンター・量販店なんかどこも駐車場がパンパン満車で、駐車待ちの列ができてたもんなぁ。空いている店に入ったら、水・パン・カップ麺の類がすっからかんで、補充した商品の空段ボールを潰して通路に置いてあったっけ。

というわけで、少し前に、鹿児島県垂水市(桜島と地続きの町。森伊蔵・足湯が有名かな。わが佐土原藩は、家久豊久亡き後垂水島津家が後を継いだ)に遊びにいってきました。先に霧島市鹿児島神宮を参拝。この日は、神宝の陰干しをしていて拝観できたよ。ラッキーだった。島津家が奉納した名槍・銘刀・黒水牛角兜や銅鏡など。宮崎の鵜戸神宮と祭神が一緒(山幸彦)なので、潮満珠潮干珠なんかもね。

この日の宿は、ファミリー垂水さん。漁港の真ん前にあるラグジュアリーホテルで、気のいいおっちゃんとおばさん2人で切り盛りしている。和室6畳、バストイレ共同、素泊まり3000円だ。俺みたいなシックな中年男・年季が入った旅行好きには充分な宿だな。

この日はガスっていていつもは正面に見える桜島も霞んで見えた。また、どこかへ・・

熱中症に気を付けて

毎日毎日暑いですね。数日前に栃木県佐野市(佐野ラーメン美味しいですよね😋)で41℃を記録。北関東って酷暑のポイントが多いよなあ。

宮崎県の最高気温は平成6年に西米良で記録した39.6℃が最高だったと思うけど、俺ちょうど西米良で山仕事していて(それも午後の日差しがまともに照りつける土場にいた。空調ファンの作業着なんてないころで、ふつうに長袖シャツを着てました)、フラフラになったのを覚えてる。

あれからずいぶん若返ったのに、体はしんどさを増すばかりだな。10日ほど前は、売り場の雨漏れ修理で瓦葺き職人さんの作業の子取りをしていて、今日は、精米所の草刈りに朝7時から入ったんだけど、1時間ちょっとで汗びっしょりになった。

ギンギンに冷やしたほうじ茶がうめー。熊手で刈った草をある程度寄せて、午前8時50分には撤収です。早く帰って焼酎を飲むとよ。


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